日本の桜
小学校3年生の時、私はアメリカから日本に帰国しました。慣れないことがたくさんあって、帰国したというより、旅行で日本を訪れたという感じでした。初めて「日本に帰ってきた」と実感したのは、小学校の校庭に植えてあった大きな桜の木を見た時です。アメリカに行く前に見た日本の桜が、記憶の片隅にうっすらと残っていました。アメリカでも桜を見ました。それはワシントンDCへの旅行で道沿いに植えてあったものです。その桜は、日本からアメリカへの贈り物でした。日本の象徴として桜の花を贈ったのです。それなので、ワシントンDCを訪れたことのある外人は、「桜といえば日本」と思うのです。
日本の桜とアメリカの桜では、だいぶ違うところがあります。普通の日本の桜は、うっすらとしてピンクですが、アメリカの桜は、赤に近いぐらいの濃いピンクだった覚えがあります。そのような違いが出てくるのは、おそらく日本とアメリカでは桜を育てる上で、桜に対する意識が全然違うからです。アメリカで育った桜は、普通の花として丈夫に力強く育てられていましたが、日本の桜は優しく、悲しい時に私たちを慰め、励まし、希望を持たせてくれるような感じです。
校庭の桜の木をしばらく見つめながら、様々な思いや感情が私の心の中を駆け巡りました。今、日本にいて、これから生活が大きく変化するという現実が胸に突き刺さり、当分アメリカの友達と会えなくなるさみしさ、新しい学校生活に向けての不安、心細さ、期待という風にとても複雑な気持ちになりました。そして卒業式の日に、同じ桜の木を見たら、転校してきた時と全然違って見えました。桜の木は、私を優しく迎えてくれて、毎日学校生活を送るのを見守っていてくれて、最後、この学校を卒業する時になると、迎えてくれた時と同じように優しく送ってくれました。桜の木は、ただ立っているだけで、これだけ私に自信を持たせてくれました。桜の木は、来年もそしてその次の年も、同じように入学生を優しく迎え、卒業生を優しく、少しさみしそうに送り、在校生が毎日楽しく学校生活を送るのを見守ってくれるのです。そんな桜は、日本人に古くから愛され、親しまれています。その証拠として、日本のほとんどの学校で、桜が美しく咲き誇っています。
桜について
・桜の原産地は韓国の済州島です。
・桜の科目はバラ科です。
・桜の花言葉は精神美、優れた美人です。
・名前の由来は、「さくら」の「さ」は「田の神様」で「くら」は「その依りつくところ」という意味を持っています。これを合成すると、「田の神の出現」ということになります。
・昔、桜は復讐の木であり、裏切られた女性が火をつけたろうそくを頭に立てて、ワラ人形とカナヅチ、クギを持って真夜中に神社に出かけ、一番大きな桜の幹に人形を打ちつけ、憎い男の命を断ってほしいと願います。神様にとって神社一の桜はとても大事なので、それを傷つけられるぐらいなら女の願いを聞こうということのようです。
・日本一長寿の桜は山梨県の山麓にある「エドガワザクラ」で推定年齢は1800年です。
・古代は花見は「梅」が主役でしたが、平安時代から「桜」に変わっていきました。
・百人一種でよく使われる「花」という言葉は、「桜」を意味しています。
☆花の色はうつりにけりないたづらに我が身世にふるながめせしまに
…降り続く春の雨に桜の花は盛りを過ぎ、すっかり色あせてしまい、私の美しさもその花のようにこんなに衰えてしまった。
☆もろともにあはれと思へ山桜花よりほかに知る人もなし
…私が山桜を懐かしむように、山桜も私を懐かしいと思ってほしい。こんな山奥では、山桜の他に私の心の寂しさを分かってくれる者はいないから。
このように和歌には、桜の花に思いや感情がこめられているものがたくさんあります。
・桜は日本では神宿る花です。
☆桜はその開花が農耕生活の一年の豊凶を啓示する申請なる花樹です。
☆「春日若宮影向図」などの社景曼茶羅の神式には、満開の桜と常緑樹が配されています。
☆西方浄土に表された桜花は、仏の依代のごとく、往来社の待つ庵の周辺を華やかに埋めて描かれています。
☆日本最古の桜の名所である吉野山の桜は、枯枝を薪材とすることさえ仏罰が下ると信じられ、信者により守り増殖されてきた神木です。
・また、桜で遊ぶこともできます。
☆王朝貴族の加齢な生活がうかがわれる花遊びがあります。
☆室町末から桃山時代の解放感あふれる花見風俗で、人々は野山に出て、花に酔い、唄い舞います。
☆爛漫の桜花のもとで三味線を弾き、恋文を読み、長キセルを手にして立つ遊女の姿が近世初期、寛永期によく現れます。
☆桜下の酒宴が始まると、人々は酒に酔い、舞い痴れ、花に狂い春を過ごします。「絶えて桜のなかりせば春のこころはのどけからまし」と詠んだ古の歌人に時も教養も隔たりはあるが、桜を待ち、桜を楽しむ心に変わりません。底抜けに明るい江戸庶民の花遊びです。
☆戦争、戦後の公害など、自然と人心の後輩と運命を共にします。
このように桜は、神聖なる花であり、古くから様々な遊びが考えられ、人を楽しませ、今では日本のシンボルとなっています。桜はたくさんの時代を超えて、日本人に親しまれた特別な花なのです。
さくら道を読んで
車掌の佐藤良二さんは、さまざまな出来事によって。心や性格がどんどん良い方向へと変化していきます。
36年間、良二さんは、人が生きることの意味を自らに問い続けていました。満4歳にならないうちに母が亡くなり、良二さんの思う「日本一の父」の仁助さんに育てられました。仁助さんは「人類みな兄弟だから、母親がいなくてもさみしいことはない」と話し、時には子供たちを笑わせるためにウグイスのまねをし、「ボロを着て社会のために奉公せよ」と、つまり「自分を多少犠牲にしてでも人のために尽くせ」と教え込みました。これが後の良二さんに大きな影響を与えました。
良二さんは俳優になろうと思ったが失敗し、苦痛の毎日が続きました。車掌としての誇りを持つことができず、客にも冷たい態度をとっていました。
私がここで思ったことは、たとえ何かで失敗しても関係のない人にその怒りをぶつけるのは良くないということです。良二さんはあのような態度で客からどのような目で見られたでしょうか。イラついている時は、他の人の気持ちを考えにくくなりますが、嫌な態度をとれば、相手に悪い印象を与えることになるので、気をつけなければなりません。
また、悲しい時は、相談できる相手がいれば、だいぶ楽になれます。良二さんは憧れの作家の実篤に全てを話し、「人生を如何に生きたらよいのですか?」という質問を加えて手紙で送りました。そして、実際に実篤に会いに行き、「自分の血や肉になるものをとって、他はこだわらず忘れる」という指導を受けました。つまり、自分のためになるもの、自分の目標となるものを見つけて、余計なこと、遠回りになることをせず、自分の道を精一杯生きるようにという意味なのです。
しかし、良二さんは、そのことをうまく理解できず、何が自分のためになるのかわかりませんでした。そして、ついに自殺を決心しました。しかし、そこである一人の娘と出会い、良二さんは自殺をやめました。
山登り好きの良二さんは、厳冬の三方崩山を登り、深く感動しました。ここで初めて、自分に自信を持てるようになり、前向きに生きていけるようになりました。良二さんは、ここから一歩ずつ自分の道を歩むようになりました。
良二さんはある老婆と出会い、今の世の便利さに感謝するその老婆の美しい言葉と心を自分の心に受け止められるようになりました。それから良二さんは客とよく会話できる自分らしい快活な車掌になっていきました。良二さんは、ここでいい車掌になるためには、「我」の塊を自分の心から掃き、捨てなければいけないということに気づきました。「我」の塊を捨てるというのは、自分を第一に考えてしまう自己中心的な心を捨てるということです。小さい頃、父に教えつけられていた「ボロを着て奉公せよ」にはこのような意味があったのではないでしょうか。
良二さんが桜を植えるきっかけとなったのが、世紀の移植工事です。良二さんは、この移植工事が終わった時、胸に名付け難い感動が焼き付きました。老いた桜が見せた自然の命の見事さ、桜の命を救った二人の老人の知恵と愛、故郷を水の底に失った村人たちの悲しみなどさまざまな感情があふれました。その感動を得て、良二さんは太平洋と日本海をを桜で結ぶことにしました。路線を自分の庭と考え、庭を桜で飾れたらどんなに美しいだろうと考えました。これは、自分のためではなく、道を通る人々の幸せを考えて実行したものです。「自分は宿命的に人のために生まれてきた男だ」と良二さんは日記に書き残しています。人の幸せが自分の幸せ、自分の目標となり、人のために尽くすことにより生きていこうとする良二さんの魂のすばらしさが表れています。「この地球の上に、天の川のような花の星座を作りたい。花を見る心が一つになって、人々が仲良く暮らせるように」-このような良二さんの夢はどのような夢でしょう。桜の星座を作るとはどのようなことなのでしょう。星座というのは、たくさんの人が見れるもので、桜は人に華やかな心を持たせることができます。より多くの人に喜びをもたらすことが良二さんの夢だったのです。
移植された日本の老桜の下で老女が急に泣き出した光景に良二さんの胸は締め付けられました。この老女は、どのような思いを抱えて泣いていたのでしょう。二本の老桜が無事移植できた喜び、あるいは、沈んでしまった故郷を思い出して悲しくなったのでしょうか…
その老女が感じたことは、その老女にしか分かりません。ここで言えることは、桜は人を悲しませたり、喜ばせたりと人に様々な感情を与えることができるということです。
良二さんは発病により、その夢の半ばにして四十七歳の生涯を閉じました。
この話を読み終えた時、私は疑問に思うことがたくさんありました。なぜ良二さんはそんなに桜にこだわるのでしょうか。ただ美を追求するのだったら、他の花でもよかったのではないでしょうか。なぜ人生をかけて、そんなに桜を植えたがるのでしょうか。桜に莫大な時間をかけて、家族の幸せまで考えていたのでしょうか。
私はしばらく考えてみて、次のような結論を出しました。
家族と過ごす時間が少なくなってしまうのは、少しやむを得ないところもありますが、やはり桜は長生きするので、自分が死んだ後でも、家族に覚えていてもらえるようにと考えたのではないでしょうか。また、桜を選び、桜に自分の人生をかけて植え続けたのは、桜は見るだけで日本人に幸せを与えてくれる特別な花であるからだと思います。
まとめ