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エッセイ


芥川龍之介と『羅生門』

~キリストの教えに背くエゴイズム~


序章

 大正時代に初めて文学界に登場した芥川龍之介の小説は、今でも広く読まれていて、その知名度は国内に限らず海外からも注目される程である。本論文では、芥川龍之介の処女作ともいわれる『羅生門』という小説で、主人公の下人が最終的に盗人というエゴイズムの道を選んだことに関して、その選択の良否を問う。初めは餓死するか盗人になるか迷っていた下人が、引き剥ぎをするという決断に至った過程を踏まえ、あるきっかけによって善と悪の間を簡単に推移してしまう人間の意識の弱さをこの物語から読み取れる。『羅生門』の創作には芥川の家族の反対による失恋経験が関係していたと考えられる。また、聖書への関心も彼の人生において大きな意味を持つ。最後に、同じエゴイズムをテーマとしながらも、キリスト教の考え方が導入されている他の作品と『羅生門』を比較し、エゴイズムに対して芥川がどのような考えを抱いていたのか検討する。

第一章      『羅生門』と芥川の人生

第一節      失恋事件と『羅生門』の創作

 芥川龍之介は複雑な家庭に育ち、「終生『家』の重荷を背負い、その束縛に苦しみ、悩み、闘った作家」であった。生後八か月の時に母フクが発狂し、龍之介は母の実家の芥川道章宅に養子として引き取られた。またそこでは、独身の実母の姉フキも、龍之介の養育に関わっていた。教育熱心だった彼女は、龍之介に早くから文字や数を教え、それは彼の後の作家活動に次のように影響したと関口安義は著書『芥川龍之介-闘いの生涯』(1)で述べている。

 フキの龍之介に対する文字や数の早期教育は、後年の作家芥川龍之介を考える時、大きな意味をもつ。それはプラスにもマイナスにも作用した。プラスの面は言うまでもないことながら、早くから本の世界を知り、あらゆる情報を本から得るという習慣を身につけたことだ。東西古今の万感の書を読み、種本として創作に生かすことがいかに多かったか。また、幼児という早い時期における文字習得は、龍之介の読書速度にも反映している。

 [中略]一方、マイナス面は幼児期において大切などろんこ遊びや、同年齢の仲間との交流が少なくなるというところにあった。龍之介の生涯を通してのはにかみ屋の側面、人見知り、小心といった態度・性格は、この生い立ちと無縁ではなかったのである。

 このように伯母フキによる早期教育は、芥川龍之介の創作の題材となる本をより速く、沢山読めるようにさせたものの、彼が健全な幼児として友達と楽しく遊ぶ機会を減らし、精神的にも肉体的にも彼を束縛していたとも考えられる 。

 「<家>の重荷を負った芥川龍之介が、その生涯で最初に出会った大きなトラブルは、養父母と伯母の反対で好きだった女性と結婚をあきらめなければならなかった事件」である。相手は吉田弥生という才色兼備で龍之介と同年の女性であった。関口安義は同著書で、龍之介の愛する女性と結婚することに対する家族の束縛や、それに対する龍之介の反応について次のように述べている。

 龍之介の弥生との交際は、結婚を考えての真剣なものであった。しかし、養家の人々の反対にあって、その仲はさかれ、失恋という結果を招くことになる。この年[大正三年]秋、弥生に陸軍中尉金田一光男との縁談がもちあがる。それを知った龍之介は弥生に求婚したいことを養父母と伯母フキに告げ、激しい反対にあったのである。

 [中略]龍之介は事件を通し、深く傷ついた。彼は<家>がいかに自分を束縛するものであるかを知った。[]愛する女性との結婚も、養父母、それに母親がわりの伯母フキの同意なしに決して実現するものではなかった。三人の大人の中で、ちやほやされた育ったとはいえ、その環境はいざとなると束縛以外のなにものでもなかった。失恋事件のプロセスを通して彼が知ったものは、人間のエゴイズムであり、<家>の重荷であったと言えよう。

 ちなみに、家族が反対した理由としては、弥生が士族ではなかったという身分の違いや彼女が戸籍上非嫡出子であったこと、既に他人との婚約が決まっていたことなどがある。確かに家族からしてみれば、愛する養子(フキの場合は甥)の結婚相手としてはふさわしくないように感じたのであろう。しかし、幾ら養父母と伯母が龍之介を愛し、彼に一番良いようにと考えていたとしても、彼の気持ちを理解して認めることができないのでは、それが周囲からのエゴイズムとなり、結局彼を傷つけてしまったのである。

 その後、龍之介が吉原遊郭に通うようになったのは、「養家の人々に対する実生活上の反逆行為であり、束縛からの脱出」であった。時には朝帰りの日もあり、そうしていく中で「龍之介の生活はすさみ、しまいには『肺かと思って心配した』という病気まで患っている。[]龍之介の<家>への反逆が、実生活上の反逆行為を乗り越え、創作上の試みとして結実するのは、親友井川恭の招きで井川の故郷松江へ旅をし、失恋の痛手からの解放をえた後のことになる。」井川恭は、第一高等学校の時の龍之介の同期で、「理知や論理や思想といった面で龍之介に刺激を与え、孤独を慰めてくれる友」であった。龍之介はそのような友人であった井川恭に失恋のことを手紙で告げると、井川は深く同情し、友人を慰めたいと思って松江の自分の家に招待した。松江の旅がどのように龍之介の心を癒し、また有名な作品『羅生門』への創作へと結びついたのか、同著書から引用する。

 穴道湖と中海に挟まれ、大橋川で南北に分かれる美しい町松江は、龍之介の心をなごませるものがあった。失恋の痛手を癒すのにこの旅は効果的であった。[]龍之介の気力は旅を通して回復し、新たな創造に衝き動かされていた。東京に帰るや、それは溢れるばかりのものとなる。龍之介の著作として有名な「羅生門」はこうした中から生まれる。

 気を取り直した龍之介が書いた『羅生門』は、人間の「エゴイズム」をテーマとしている。これには、龍之介の家族の束縛による失恋経験が影響しているのではないかと思う。なぜなら、『羅生門』の主人公である下人は、餓死するか盗人になるか悩んだ末、最終的には盗人という、世の倫理に全く従わない自由の道、すなわちエゴイズムの道へと進んでいったからである。ちょうど龍之介にはできなかったことである。彼は養父母や伯母に忠実に従い、やむなく愛する女性との結婚を諦め、結果として自己犠牲の道を選んだのである。

第二節      芥川とキリスト教

 芥川龍之介がキリスト教に関心を持つきっかけとなったのは、前章で紹介した親友井川恭が一高在学中に、龍之介に贈与したTHE NEW TESTAMENTという英語の『新約聖書』である。関口安義の同著書によると、「『聖書』は同時代青年の共通の教養源であり、慰安の書であった」ので、井川が龍之介に英文の『新約聖書』を贈ったのは、おそらく「知的書物として読んでもらいたいとの配慮」があったからである。また、大学に入学してから龍之介には、「もう一冊の『聖書』を持っていた可能性が高い。」それは、おそらく当時発行された<明治訳聖書>と呼ばれる、旧約部分も含んだ『旧新約聖書 HOLY BIBLE(米国聖書会社、大正318)ではないかと考えられている。

 前章では松江の旅によって芥川龍之介は失恋事件の痛手から解放され、それが『羅生門』の創作へと繋がったという流れを関口安義の著書を元に説明した。これに対し、『芥川龍之介の文学』(注二)の著者佐古純一郎は、芥川が小説を書くようになったのは、とてつもない寂しさを紛らせるためだったと考えている。失恋した時に、「周りの人間のエゴイズムの醜さをさまざま(ママ)経験し、[]人間にエゴイズムを離れた愛というものはありうるかと、芥川は[問うた]。もし、エゴイズムを離れた愛がないとしたら、結局人間というものは孤独で、どうしようもない寂寞を心に抱かずにいられない。」そのようなことえ、龍之介は寂しくてやりきれず、「思い切りおもしろいことを書いてやろうというので『羅生門』と『鼻』とを書いた」のである。ところが、寂しさから逃れるために書き出した小説が、かえって人間の醜いエゴイズムに気づかせるものとなってしまった問題について、佐古純一郎の『芥川龍之介の文学』より引用する。

 しかし、小説を書く行為自体は、さびしくてやりきれない、[・・・]またしても「生存苦の寂寞」といわざるをえないような人生の現実をみることになるでしょう。そうでしょう、どんなに小説を書くことでさびしさを紛らせたいと思ったって、小説を書くということは、そこで、また、どうしようもないエゴイズムの醜さをみずにいられないじゃないですか。これは、まさしく『羅生門』と『鼻』の問題じゃないか。

 『羅生門』では「解雇された下人が羅生門楼上で老婆と、生か死かの<極限>という共通の状況のなかで、醜いエゴイズムとエゴイズムの闘争」を演じる。初めは、生きるためには盗人になるしかないと分かっていてもそう踏み切ることのできない下人であったが、老婆の「飢え死をしないために止むを得ず犯す悪は許される」という論理に動かされて、とうとう悪の実行(引き剥ぎ)に踏み切った。その論理とは、「おのれの都合に即したエゴイスチックなもの」であった。(注三)

 『鼻』では、「上唇の上から顎の下まで下がっている(注四)」大きな鼻に悩まされていた禅智内供が、必死の努力の末、見事に鼻を縮めることに成功したら、かえって皆に笑われてしまうという「傍観者の利己主義」を物語っている。つまり人間には、苦しむ人に対して同情する一方、その人がどうにかしてその苦境を乗り越えると、今度はまたその人に苦しい状況に陥ってほしいと願ってしまう二つの矛盾した感情があるのである。佐古純一郎は、これを「人の不幸を見て楽しい根性」と表現し、それはエゴイズムであると述べている。その具体例として次のような例えを挙げている。

 お隣がうちに比べたら生活があまり豊でなかったのが、宝籤が一千万当たっちゃった。本当に皆さん、心からよろこんであげられますか。[・・・]むしろ、何か妬ましいんじゃないの、お隣さんに一千万も入ったということが。

 人には、自分さえよければいいと思ったり、他人の不幸を願ってしまったりする愚かな面がある。そのような人間のエゴイズムが芥川の初期の作品『羅生門』や『鼻』で鮮明に描き出されている。「小説を書くという行為自体は『芸術派』」であり、芥川はそれによって「どうしようもないさびしさを紛ら[そうとした]。けれども、書く事柄はやっぱり人間の醜い現実をみつめずには小説なんて書けないもの(ママ)。その矛盾がだんだん調和がとれなくなっていくところに、芥川の追いつめられていく姿が[ある]。」

 そんな芥川が最後にとりついたのは、『聖書』である。芥川の死の枕元には『聖書』が開かれており、最後の著書『続西方の人』の末尾には、「我々はエマヲの旅びとのやうに我々の心を燃え上がらされるクリストを求めずにはゐられないのであろう」という彼の印象深い一文が残っている。(1)

 エマヲとは、イエス・キリストが十字架の死を遂げたエルサレムより西方の村である。イエスの処刑後、三日目の夕方、二人の弟子がエマヲの村へ歩きながら、イエスの死を悲しく語り合っていた。そこへ、旅人姿のイエスが現れたが、彼らはイエスだと分からず、悲しげな様子のままイエスと話した。

 日が暮れると、「二人はその方を宿屋に案内し、食事の席に着く。その時イエスはパンをとり、祝福して裂いて渡しているうちに、彼らの目が開け、イエスであることが分かる、と同時にその姿は見えなくなる。二人の弟子は、『道で話しておられるとき、また聖書を説いてくださったとき、わたしたちの心は燃えていた』ことを確認しあう。(注一)

 芥川龍之介には、その「エマヲの旅人の心」と同じようなキリストに対する熱い思いがあった。彼の「生存苦の寂寞」を本当に癒すことができたのは、エゴイズムを離れた愛であり、それはイエス・キリスト(神様)からの愛であったのである。(注二)

第二章      『羅生門』のテーマ:善と悪、エゴイズム

第一節      推移する人の意識

『羅生門』は、『今昔物語集』の中の、盗人による羅生門での引き剥ぎの話を主素材に、その主人公である「盗人」を主人から暇を出されて行き詰っている「下人」に変えて、話を展開している。(注三)その下人は、四、五日前までは働く場を持ち、日常的な生活を送っていたのだから、当然正常なモラルがあった。(注一)そのような日常的倫理に縛られた彼は羅生門の下で飢餓の危機に浸されながらも、盗人になる「勇気」を持つことができずにいた。

 彼が寝場所を求めて羅生門の上へ登ると、そこには死人の女の髪の毛を抜く老婆がいて、自分は旅の者であり、老婆をつかまえる気などない、と少し柔らかな口調で言った。すると老婆がようやく下人の質問に対し、この女の髪を抜いて鬘にしようと思った、と答えた。下人は先程の正義感や、普段の生活で身に着けた日常的倫理により、そのような悪を為す老婆に対して激しい「憎悪」や「侮辱」を感じた。

 ところが、その後老婆が自分のそのような行為を正当化する論理を展開すると、下人の気持ちは大きく変化した。老婆は、「わしが今、髪を抜いた女などはな、蛇を四寸ばかりずつに切って干したのを、干し魚だというて、太刀帯の陣へ売りに往んだわ。(注四)」と言った。つまり、今老婆が髪の毛を抜き取っている死人の女は、生きている間、蛇を魚だといって売るというような詐欺を働かせていたのである。老婆はそのことに関して、次のように行った。「わしは、この女のしたことを悪いとは思うていぬ。せねば、飢え死にをするのじゃて、仕方がなくしたことであろ。されば、今また、わしのしていたことも悪いこととは思わぬぞよ。これとてもやはりせねば、飢え死にをするじゃて、仕方がなくすることじゃわいの。」下人はこのような老婆の弁解を聞いているうちに「ある勇気が生まれてきた。」それは、その後引き剥ぎを犯して逃走するのに必要な勇気であり、老婆を捕らえた時に感じた正義感とは全く逆のものであった。

 宮坂さとるは著書『芥川龍之介 人と作品』(注三)で、この老婆の「悪の論理は、典型的な甘えの構造に支えられたものであり、許しあるいは恩寵の先取りの論理」であると述べている。おそらく下人は、このエゴイスチックな理論を聞くことにより、自分の今の状況ではそのような行動をとる他に仕方がなく、それは許されることだと思ったのだろう。このように下人の倫理観は覆され、善から悪へと意識が推移していったのである。

第二節      エゴイズムの光と影

 この物語で描かれているエゴイズムとは、「対極に存在する個我の酷薄さ」や「倫理を超えて生を得る(注三)」という点にあると考えられる。解雇された下人も、羅生門楼上で死人の女の髪を抜き取っていた老婆も、互いに生きるために必死だった。そのような切羽詰まった状況の中で、とうとうエゴイズムに目覚めた下人は、老婆に対して「勝利を得て消え去っていく」ことに成功した(注一)。これはおそらく下人が、世の倫理などとは関係なく、己の野性的本心のみに従って行動したからであろう。宮坂さとるは同著書で、「『羅生門』など王朝物は、どこかに野性的な美しさを残しながら、人物は近代的な複雑な心理が注入され蘇生させられている」と述べているが、その「野性的な美しさ」とは、まさにそのことではないだろうか。

 下人が、盗人というエゴイズムの道を選んだことは、世の倫理や束縛に対する「反逆」であり、「自己解放」であった。(注一)彼がそれまでは、盗人になる勇気が出ずにいたのは、育つ過程で学んだ世の倫理が彼のことを鎖のように束縛していたからである。彼はそのような「倫理を超えて」自分をあらゆる束縛から解放することによって、「生きる手立てを得た」のである。(注三)

 一方、すべての人がそのように倫理を無視していたら、世の中はどうなってしまうのだろうか。人から何かを取られては取り返す、という生活の何処に幸せがあるのだろうか。世の秩序や平穏を保つためには、一人一人が倫理やモラルなどを守らなければいけない。関口安義の著書『芥川龍之介 闘いの生涯』では、暗い物語だと思われがちな『羅生門』には下人が自己解放を得るという明るい一面もある、というようなことが述べられていた。確かにエゴイズムとは、その本人には希望を与えるものなのかもしれない。しかし、他人からしてみれば、エゴイズムとは勝手なものであり、必ずしも許せるものではないと考えられる。

第三章      『エゴイズム』をテーマとする他の作品と比較して

 芥川の小説の中には、エゴイズムをテーマとする作品はたくさんある。しかし、同じエゴイズムをテーマとした作品でも、初期の作品である『羅生門』や『鼻』では、ただ人間のエゴイズムがむき出しとなって描かれているのに対し、その後の『蜘蛛の糸』(大正七年)や『杜子春』(大正九年)は、エゴイズムに基づく行為をした人に待ち受ける運命が強調されている。つまり、人間が己の行動により、神様からどのような裁きを受けるのか、これらの作品から読み取ることができるのである。

 このように人間の行動に対する天からの裁きについて考えさせるような作品が登場し始めたのは、芥川が次第にキリスト教に関心を持つようになったからではないかと思う。作家の書く小説とは、作家の人生と深く関連していることが多く、芥川の場合は、聖書から学んだキリスト教の教えが小説の中に一部導入されていると考えられる。その例として、『蜘蛛の糸』や『杜子春』を、聖書で説かれている内容と比較して考えたいと思う。

 『蜘蛛の糸』(注五)では、ある日御釈迦様が極楽の蓮池から「下の容子を御覧になり、[・・・]地獄の底に、かん蛇多という男が一人、他の罪人といっしょに蠢(うごめ)いている姿」が目に止まった。御釈迦様は、この男がある時「小さな蜘蛛」を一匹殺さずに助けてやったことを思いだし、その報いとして、極楽から蜘蛛の糸を一筋、かん蛇多のいる地獄の底へまっすぐと下ろしてやった。かん蛇多は蜘蛛の糸に気づくと、必死でそれを登った。そして、ようやく疲れたところで糸の途中にぶらさがり、下を見下ろした。すると、糸の下の方から大勢の罪人が「自分ののぼった後をつけて、まるで蟻の行列のように、やはり上へ上へ一心によじのぼって」きていたのである。

 かん蛇多は、「細い蜘蛛の糸」に「あれだけの人数の重み」がかかると、糸が切れて自分まで落ちてしまうと思い、「こら、罪人ども。この蜘蛛の糸は己(おれ)のものだぞ。お前たちはいったい誰に尋()いて、のぼって来た。下りろ。下りろ。」と叫んだ。そのとたん、糸は「ぷつりと音をたてて」切れてしまった。

 御釈迦様は「蓮池のふちに立って、この一部始終をじっと見て[いたが]、やがてかん蛇多が血の池の底へ石のように沈んで[しまうと]、悲しそうな[顔をしながら]、またぶらぶら[歩き始めた]。自分ばかり地獄から抜け出そうとする、かん蛇多の無慈悲な心が、そうしてその心相当な罰をうけて、元の地獄へ落ちてしまった」のを賤しく思ったのである。

 かん蛇多の、蜘蛛の糸を登ってくる大勢の罪人を見た時の心境は、理解し難いものではない。せっかく自分が助かりそうな時に、他者から妨害されると、その人達を恨めしく思ってしまうのはある意味人間として当然なことかもしれない。しかし、ここではかん蛇多は、自分がお釈迦様(神様)から「許されている」ということに気がつかず、エゴイズムに満ちた思考のみに支配されていたのである。それにより、彼は地獄へ逆戻りするという罰を受けた。

 さて、ここで脇田晶子の『新約聖書物語』(注六)から、イエスが弟子ペトロに話した「許し合うこと」に関する例え話をひとつ紹介したいと思う。

 ある王が、ひとりの家来に一億円貸してやったが、家来はいつまでたっても返すことができなかった。王は、家来に、持ちものも、妻も子も、みな売りはらって借金を返すようにといった。家来は、王の前にひれふして、「どうか、もうしばらくお待ちください。なんとかしてお返しします」といった。どうせ返しきることはできない。王は家来をかわいそうに思って、ぜんぶ帳消しにしてやった。

 ところが、その家来は、喜んで家に帰るとちゅう、なかまに出会った。家来はその人に千円ばかり貸していた。「おい、あれを返せ。」「すまない。もうしばらく待ってくれ。きっと返すから。」

 しかし、この家来は待とうとしなかった。なかまを裁判所にひっぱっていき、かんごくに入れさせた。

 見ていたほかのなかまが、悲しんで、王に告げた。王はおこって、あの家来をよびだし、「なんというわるいやつだ。おまえのねがいを聞いて、わたしは、あれだけの借金を許してやったではないか。だから、わたしがおまえをかわいそうに思ったように、おまえもあのなかまをあわれんでやるのがあたりまえではないか」といって、かんごくに入れた。

 もし、きみたちが、心から兄弟をゆるさなければ、わたしの天の父も、この王のようにきみたちをあつかわれるだろう。 

 『蜘蛛の糸』と、このイエスの例え話には共通するものがあると思う。それは、神様やお釈迦様が自分のことを憐れみ、許してくれるのであれば、自分も人を憐れみ、許さなければいけないということである。もしそれができず、自分だけが許されればいいと考えてしまうのであれば、決して良いことは起きない。

 かん蛇多は、お釈迦様が自分を憐れんで過去に犯した罪をすべて許してくれたのにも関わらず、自分と同じように地獄を抜け出そうとする罪人に対し、一切の憐れみを見せなかった。これは、家来が王に許されながらも、なかまを許そうとしなかったのと同じことである。

 次に、芥川の『杜子春』(注五)とルカによる福音書第十五項にある『放蕩息子』(注七)という例え話を比較したいと思う。『杜子春』では、『羅生門』の下人と同じように、杜子春という若者が、財産を使い尽くして、門の下でぼんやりと空を眺めている状況から始まる。そこへある老人が訪れて「お前は何を考えているのだ。」と聞いてきたので、杜子春は「今夜寝る場所もないので、どうしたものかと考えているのです。」と答えた。「そうか。それは可哀そうだな。」と老人は言い、しばらく考えた末、やがて、往来にさしている夕日の光を指差した。そして杜子春に「今この夕日の中へ立って、お前の影が地に写ったら、その頭に当たる所を夜中に掘ってみるが好い。きっと車にいっぱいの黄金が埋まっている筈だから。」と言った。

 杜子春は言われた通りにすると、確かに掘った場所から黄金が出てきて、大金持ちになった。しかし、そこで杜子春の悪癖が顔を出し、贅沢な生活を始めてしまった。金持ちなうちは、友達もたくさん家に遊びに来てくれたが、次第に貧乏になるにつれ友達は彼のことを見捨てていった。三年後、杜子春が以前と同じように、一文無しになるとまた老人があらわれて「お前は何を考えているのだ。」と声かけた。そこから、全く同じことが生じる。杜子春は金を掘り出して大金持ちになるが、贅沢をし、三年ばかり経つうちに貧乏に戻っている。

 そこで三度目に老人に会ったときは、もうお金はいらないと言った。それは贅沢に飽きたからではなく、人間の薄情な心に愛想が尽きたからだと言う。杜子春は、老人を仙人だと推測し、「不思議な仙術を教えてください。」と申した。老人は杜子春を弟子にしてやると同意し、さっそく修行のため峨眉山へ杜子春を連れていった。そして岩の上へ着くと、杜子春を絶壁の下に座らせて「おれはこれから天へ行って、西王母に御眼にかかって来るから、お前はその間ここに座って、おれの帰るのを待っているが好い。多分おれがいなくなると、いろいろな魔性が現われて、お前をたぶらかそうとするだろうが、たといどんなことが起ころうとも、決して声を出すのではないぞ。」と言った。

 杜子春は、虎や蛇に襲われようと、雷雨が落ちてこようと、一切声を出さなかった。神将に話されても応答せず、怒った神将は杜子春を一突きで殺した。杜子春の魂は、地獄の底へと下りていき、そこで閻魔大王と出くわした。杜子春はやはり返事をせず、ひどい目に遭わされた。だが、それでも杜子春は我慢強く、全く口を利かなかった。

 しかしその後、鬼どもは、杜子春の両親の顔をした二頭の馬を鞭で打ちのめした。杜子春が耐えられずに堅く目をつぶっていると、母親のかすかな声が聞こえてきた。「心配をおしでない。私たちはどうなっても、お前さえ仕合せになれるのなら、それより結構なことはないのだからね。大王が何と仰っても、言いたくないことは黙っておいで。」この言葉により、杜子春は、母親がこれ程苦しい中でも自分のことを思いやってくれていることに感動し、馬の頸を抱いて涙を落としながら「お母さん」と叫んだ。

 気がつくと杜子春は、洛陽の西の門の下に戻っていた。そこへ鉄冠子が再び現れた。杜子春は、自分にはとても仙人になることなどできないと告げた。鉄冠子は「もしお前が黙っていたら、おれは即座にお前の命を絶ってしまおうと思っていたのだ」と厳かな顔をして言った。そして「お前はこれから後、何になったら好いと思うな。」と尋ねた。すると杜子春は、「何になっても、人間らしい正直な暮らしをするつもりです。」と答えた。

 鉄冠子は、「その言葉を忘れるなよ。」と言い、もう二度と杜子春に遭わないことを告げた。そしてふと振り返り、泰山の南の麓にある自分の家を、畑ごとお前にやるから、そこに住まうが良い、と愉快そうに付け加えた。

 この物語で、杜子春の心は初めに比べて大きく成長したことが分かる。彼は、初めはお金が入ると無駄遣いをしてしまう、ろくでもない若者だった。周囲の人々のエゴイズムをひがんでいた彼だが、自分にも責任があることに全く気づいていないようであった。それが、仙人になろうと思ったことがきっかけで、人間界よりもはるかに残酷な世界に直面し、そこでの母親からの優しくて人間味溢れる愛に心を動かされたのである。そして彼は悔い改め、今後は「人間らしい正直な暮らしをする」と決心した。

 『放蕩息子』(注七)でもある人の二人の息子のうち下の息子は、父親からの財産を無駄遣いしてしまった。そして何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるものにも困り始めた。(注七)そこで彼は、大勢の雇い人に、有り余るほどのパンのある父のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走りよって首を抱き、接吻した。

 息子は「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。」と言った。しかし、父親は僕たちに、「急いで良い服持ってきて、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。それから、肥えた子牛を連れてきて屠りなさい。食べて祝おう。」と言った。

 このことを知った兄の方は、怒って父親に、自分はお父さんに何年も使えていて、言いつけに背いたことは一度もない、それなのになぜあの息子があなたのお金を無駄遣いして帰って来ると、肥えた子牛をやったりすのかと聞いた。父親はそれに対し、「子よ。お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。だが、あの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなったのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。」と答えた。

 この放蕩息子が父親に許されたのと同じように、杜子春は鉄冠子に過去の過ちを全て許され、家と畑を贈与された。鉄冠子が愉快そうであったのは、『放蕩息子』の例え話で、父が下の息子の精神的生還を喜んだのと似たような喜びがあったからではないかと思う。

 『蜘蛛の糸』にしても、『杜子春』にしても、自分を上から見守る「神様」のような存在の登場人物がいる。『蜘蛛の糸』では極楽からかん陀多の行動を一部始終見ていたお釈迦様が、『杜子春』では、杜子春を絶壁の下に残して、上からずっと様子を見守っていた鉄冠子がそれに当たる。つまりこれらの物語は、神的存在の人が、上から常に人間の行動を監視していることを意識させるものではないだろうか。そして、人間は、その行動に応じた裁きを受けるというのである。

 『羅生門』の末尾の文章は「下人の行方は、誰も知らない。」となっているので、この物語から下人の最終的な運命を読み取ることはできない。勿論、引き剥ぎという行為をした後なので、盗人になった可能性は高い。だが、宮坂さとるの『芥川龍之介 人と作品』(注三)によると、それまでは日常的倫理に束縛されて迷っていた下人の資質からして、「再び恐怖心に襲われなかったとは断言でき[ない]。」

 もし、彼が自分のしていたことが悪いことだと気づき、悔い改めてエゴイズムの少ない心を取り戻したとすれば、彼は罪から許され、杜子春や放蕩息子のように救われるかもしれない。逆に、そのままエゴイスチックな思考に乗っ取られて本当に盗人になってしまったら、かん陀多のようにその「心相当な罰」を受けるかもしれない。

 『羅生門』の物語の行方は何度も改稿した末、芥川が故意的に不明確にしたのだが、その頃の芥川はまだ聖書を読み始めたばかりであった。しかし、次第に聖書への教養が深まるにつれ、イエスの例え話などから、エゴイズムとはイエスの教えに背くものだ、ということを確信していったのであろう。それは、『蜘蛛の糸』や『杜子春』など、『羅生門』よりも後にできた作品を読むと明らかである。

結章

 ここで本論文を簡単にまとめると、まず『羅生門』という物語の中で下人は、芥川龍之介自身にはできなかった、エゴイズムに基づく行為をしたことに関し、それは束縛からの自己解放という良い面もあれば、公的にみれば身勝手であるという悪い面もあると述べた。キリスト教では、他人を憐れんだり、自分を悔い改めたりすることが基本的原理となっているので、エゴイズムはそれに反している。芥川龍之介は、そんなキリスト教に深い関心をもち、エゴイズムに支配された人間には良い運命は待ち受けないという原理を『蜘蛛の糸』や『杜子春』などの作品の中で表現している。『羅生門』における下人の最終的な運命は不明であるが、初出稿通り「下人は、既に、雨を冒して、京都の町へ強盗を働きに急いでゐた」という結末にしなかったことにより、芥川は自分とよく似た、生きるための迷いを抱えた下人に、少しの希望の光を残してあげたのではないかと思う。

引用文献一覧

注一:『芥川龍之介 -闘いの生涯』 1992710日発行

   著者 関口安義 発行所 毎日新聞社

注二:『芥川龍之介の文学』 1992926日発行

   著者 佐古純一郎 発行所 朝文社

注三:『芥川龍之介 人と作品』 1998410日発行

   著者 宮坂さとる 発行所 翰林社

注四:『芥川龍之介 表現と存在』 1994110日発行

   著者 菊池弘 発行所 明治書院

注五:『少年少女日本文学間第六巻 トロッコ・鼻』 19851218日発行

   著者 芥川龍之介 発行所 講談社

注六:『新約聖書物語』 1990110日発行

   文 脇田晶子 絵 矢野滋子 発行所 女子パウロ会

注七:『NEW TESTAMENT 新約聖書』 1999年発行

   発行所 日本聖書協会

謝辞

 本論文では、多くの著書を参考にさせて頂きました。キリスト教への教養を育ててくれた家族や駅前で無料で聖書を配布して下さった方にも感謝の気持ちを捧げます。また、現代文の授業でレポートの題材をたくさん紹介して下さった清水先生にもお礼を申し上げたいと思います。本当に有難うございました。

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